レッテル張りと分解が社会を推し進めてきた
思考力のベースにある「ラベリング」
より高度なものを生み出すには、物事を比較することが大事なのは言うまでもありません。比較とは、AというものとBを比較することです。比較を行うときに起きている現象は、まず固有のABという存在を認識することで比較が行われているという点にあります。
例えば私という概念はあなた君あいつらという概念があって成り立ちます。逆も然りです。日本という国をアメリカと比較する際、そこには国境分解言語国名というラベリング(レッテル張り)が存在するから可能なのです。
このように、物事を比較するには、あやふやとした概念のままでは不可能でしょう。何かしら、そのぼんやりしたものに対して確固たる定義付け、ネーミングが必要です。
ラベリングの落とし穴
しかしここに落とし穴がある。もともとぼんやりしていたものにレッテル張りを行うときに人の恣意的な考えが含まれることです。
国境は元からあるのではなく、人間が引いたからこそ、国家という固有の領土が出来上がりました。この国家という領土は、それ自体国としての固有性を持っていながらも、大陸というレベルで見るとフランスロシアドイツは全てヨーロッパ大陸です。こうして幾度にも分解や結合が可能なものに対して一度貼ったレッテルに固執してしまうと、それ以外の物の見方ができなくなります。
分解による比較
そこで必要なのが、分解という作業です。例えばイロハスとクリスタルガイザーは同じ水。しかしこれを水という側面でしか捉えられない場合、比較のしようがありません。マーケティング戦略において違いがわからないというのは極めてクリティカルな問題です。そこで必要なのが、同じ水である2つの商品を分解して比較して見ることになります。
水の味や源泉地、ボトルの形状やロゴといったデザイン、CMという広告戦略の観点など、様々な観点に分解して比較することで、初めて見えてくる新しい発見があります。
マーケッターの場合、更に市場のニーズを細かく分解して、自社ブランドを作り上げる。(あえて逆の作業を行うこともあるが。)
2つの商品を同じ水として捉えてしまったら、比較することができず、よりよい商品を作ることは出来ないだろう。
概念が思考を期待する
日本の芸術の世界では本居宣長の登場前後で、美的センスの捉え方がガラッと変わりました。それは本居が「物の哀れ」という概念を芸術に持ち込んだからです。それまでの日本人の美的センスの一部にあった、漠然としたものを、1つの概念として捉えることで芸術への価値観が大きく転換しました。
少し余談になりますが、障碍者という言葉が生まれた理由は、健常者という基準の概念を生み出したからに他なりません。男女差別が問題になる昨今ですが、性の格差はmen(男性)という言葉が生まれた瞬間に誕生したでしょう。
語彙力を身につけよう
言葉にすることは、私たち人間にとって文明社会を築く上で大きな役割を果たしたのも事実でしょう。言葉によって、集団内で交わされる漠然とした空気に、明確な意味を持たせることに成功したからです。
語彙力を身につけることが大事な理由もここにあります。語彙があることで人間は初めて思いを口にすることができる。喋るのが下手な人は、ただ語彙力が無いから、思考力が上がることもなければとっさに考えたことを口に出せないのでしょう。
ラベリングして物事を知り、分解して捉え、再構築する作業こそが今後の人材に必要ではないでしょうか。